2008年 10月 25日
廃寺探訪その2 |
今回はコロフク兄弟のお話はお休みにして、廃寺の続き。
おそろしい石段を避け、別ルートで本堂へ向かうと、
まず初めに見えるのが“自坊”です。(自坊ってなんだ?) 玄関付近には、何やら怪しき看板が...。 そういえば昔、80年代バンドブームの頃、
“太陽レコード”というレーベルがあったような...まだあるのかな? この“自坊”は、小学生の頃来ていた時からすでにボロボロだったのですが、
さらに倍率ドンっ!て感じに、一層ボロくなっていました。
障子なんて、ご覧のとおり目々連(もくもくれん...妖怪です)も
張り付くことが出来ないほど。
人が住まなくなると家は風化してしまうといいますが、本当なんスねぇ...。 “自坊”のお向かいにある木に咲く花。父が
「これは****(←花の名前...忘れた)で、うちにもあるけど、
こんなに咲いてない!」と、その見事な咲き具合に驚いていました。
どんな花でも、写真に撮ると細かなところまで見ることが出来て面白いので、
本当はアップを撮りたかったのですが、どうもスズメバチが
巣を作っているようで、ひっきりなしにブ〜ンという低音が鳴り響いていたため、
おそろしくて断念いたしました。
幼稚園の頃、このお寺に遠足に来た時、ここいら一帯にスズメバチの大群がいて
遠足が途中で中断になった思い出があります。(刺された子もいたと思う) “自坊”を通り過ぎると“鐘付堂”があります。 もちろん鐘はなく、この建物自体も崩壊しつつあります。 そして、その横にある本堂。
どこのお寺や神社の建築物がそうであるように、
お屋根の裏など凝った造りになっていて、
捨て去られているのがもったいないくらい...。
色あせてしまった建物に唯一残されたお屋根の赤色が寂しいです。
本堂の横は、ちょっとした広場みたいになっていて、
赤い小さな建物が“ローソク立て”、奥の建物が“太師堂 護摩堂”です。 “太師堂 護摩堂”の裏。
すんごいことになっています。ボロボロ...。
父が「ここは昔、仏像を作る場所だった」と言っていたような...。 “太師堂 護摩堂”のある広場の下(石段の横)は、地面が崩れて崖になっています。
よそ見でもした日にゃ〜転げ落ちます。転落です。
下が土なので死ぬことはないように思うのですが、肋骨の1本2本は折れるかも...。 広場にある“ローソク立て”の後ろには、“蔵王堂”に向かう石段があります。 ここもかなり急な石段になっており、また石段の縦幅も狭いので、
のぼる時には注意が必要です。(ちなみに、蔵王堂には行っていません)
デカ足のワタシは、きっとカニ歩きじゃないとのぼれない...。
ここから先は、父から聞いた話をもとに
あくまでうわさ話として書きます。
この「別格本山 岩屋寺」、父が言うには「檀家さんが少なかった」らしいです。
そのため、生活に困った住職が仏像や仁王像などを売ってしまったんだとか...。
この場所が好きだったワタシは、その理由を聞くまで
「仏の道を歩くと決めた者が、金のために仏を売りさばくとは、
なんたるクサレ坊主!フンガ〜!」と思っていました。
でも、ひとり仕事をして生活する身となった今、
「そういうケースがあっても仕方ないのかもしれない」と思っています。
どういうお人柄のご住職だったのか知らないのですが、
もしかすると、断腸の思いで仏様を手放されたのではないかと思ったからです。
生きていくために仕方なく...。そうであって欲しいとも思います。
(父も批判的に言うのではなく、可哀想だったという感じで話してくれました)
最終的には夜逃げのようなカタチで誰もいなくなり、
廃寺になってしまったのではないかと...。(ワタシの見解)
父の話には続きがあり、ご住職には息子がいたそうで、
この人がかなりのボンクラ息子だったらしいです。
(たぶんまだ生きているだろうとのこと)
仏教系の大学生の頃からボンクラぶりを発揮していたらしく、
お寺が廃寺になってしばらくたった頃、フラリと戻ってきたボンクラ息子は、
「寺を復興する」と言って、町の人たちからお金を集めたそうです。
しかし...集まったお金を持ってドロン...。
姿を消してしまったとのこと。
お金が集まったということは、
少なからずこのお寺の復興を願う人たちがいたということ。
そんな町の人たちの気持ちを踏みにじったボンクラに
バチが当たっていることを願います。
〜つづく〜
まず初めに見えるのが“自坊”です。(自坊ってなんだ?)
“太陽レコード”というレーベルがあったような...まだあるのかな?
さらに倍率ドンっ!て感じに、一層ボロくなっていました。
障子なんて、ご覧のとおり目々連(もくもくれん...妖怪です)も
張り付くことが出来ないほど。
人が住まなくなると家は風化してしまうといいますが、本当なんスねぇ...。
「これは****(←花の名前...忘れた)で、うちにもあるけど、
こんなに咲いてない!」と、その見事な咲き具合に驚いていました。
どんな花でも、写真に撮ると細かなところまで見ることが出来て面白いので、
本当はアップを撮りたかったのですが、どうもスズメバチが
巣を作っているようで、ひっきりなしにブ〜ンという低音が鳴り響いていたため、
おそろしくて断念いたしました。
幼稚園の頃、このお寺に遠足に来た時、ここいら一帯にスズメバチの大群がいて
遠足が途中で中断になった思い出があります。(刺された子もいたと思う)
どこのお寺や神社の建築物がそうであるように、
お屋根の裏など凝った造りになっていて、
捨て去られているのがもったいないくらい...。
色あせてしまった建物に唯一残されたお屋根の赤色が寂しいです。
赤い小さな建物が“ローソク立て”、奥の建物が“太師堂 護摩堂”です。
すんごいことになっています。ボロボロ...。
父が「ここは昔、仏像を作る場所だった」と言っていたような...。
よそ見でもした日にゃ〜転げ落ちます。転落です。
下が土なので死ぬことはないように思うのですが、肋骨の1本2本は折れるかも...。
のぼる時には注意が必要です。(ちなみに、蔵王堂には行っていません)
デカ足のワタシは、きっとカニ歩きじゃないとのぼれない...。
ここから先は、父から聞いた話をもとに
あくまでうわさ話として書きます。
この「別格本山 岩屋寺」、父が言うには「檀家さんが少なかった」らしいです。
そのため、生活に困った住職が仏像や仁王像などを売ってしまったんだとか...。
この場所が好きだったワタシは、その理由を聞くまで
「仏の道を歩くと決めた者が、金のために仏を売りさばくとは、
なんたるクサレ坊主!フンガ〜!」と思っていました。
でも、ひとり仕事をして生活する身となった今、
「そういうケースがあっても仕方ないのかもしれない」と思っています。
どういうお人柄のご住職だったのか知らないのですが、
もしかすると、断腸の思いで仏様を手放されたのではないかと思ったからです。
生きていくために仕方なく...。そうであって欲しいとも思います。
(父も批判的に言うのではなく、可哀想だったという感じで話してくれました)
最終的には夜逃げのようなカタチで誰もいなくなり、
廃寺になってしまったのではないかと...。(ワタシの見解)
父の話には続きがあり、ご住職には息子がいたそうで、
この人がかなりのボンクラ息子だったらしいです。
(たぶんまだ生きているだろうとのこと)
仏教系の大学生の頃からボンクラぶりを発揮していたらしく、
お寺が廃寺になってしばらくたった頃、フラリと戻ってきたボンクラ息子は、
「寺を復興する」と言って、町の人たちからお金を集めたそうです。
しかし...集まったお金を持ってドロン...。
姿を消してしまったとのこと。
お金が集まったということは、
少なからずこのお寺の復興を願う人たちがいたということ。
そんな町の人たちの気持ちを踏みにじったボンクラに
バチが当たっていることを願います。
〜つづく〜
by torazombie
| 2008-10-25 22:29
| 雑記